【現場リアル #3】「一日でいいから、この子より長く生きたい。」Hさんとお母さんが見つけた、それぞれの人生

「いつか、この施設も退所になってしまうかもしれない」
Hさんが施設で暮らし始めてからも、お母様の中にはそんな不安が消えませんでした。
現在WeeW NISHIITSUSHIROで生活されているHさんは、最重度の知的障害と自閉症があり、成長とともにこだわりが強くなっていきました。
気持ちをうまくコントロールすることが難しい場面では、周囲の人に対して強い行動(他害)が出てしまうこともあり、これまで利用していた施設を退所した経験が何度かあります。
次の施設を探しても、なかなか見つからない。
「見つかったとしても、この施設も退所することになってしまったらどうしよう」
そんな不安を抱えながら、Hさんとお母様が出会ったのが、ビジョナリーが運営する障害者専用住宅「WeeW NISHIITSUSHIRO」(愛知県一宮市)でした。
入居から、6年。Hさんは今も、WeeWで暮らしています。
入居当時は問題行動も見られたHさんですが生活にも慣れ次第に落ち着いた暮らしができるように変化が見られました。
そして変化がみられたのはHさんの暮らしだけではなく、Hさんが安心して過ごせる場所を見つけたことで、お母様自身の人生にも、少しずつ良い変化が生まれていきました。
幼いHさんを前に、戸惑いと不安を抱え続けてきたお母様。
施設との出会いと別れを繰り返しながら歩んできた先で、Hさんとお母様が見つけた、それぞれの人生についてお話を伺いました。
「どうしてうちの子だけ違うんだろう」
お母様がHさんのことを「他の子の成長過程と少し違うのかもしれない」と感じ始めたのは、1歳の頃。乳幼児健診でもほかの子とは動きが違うと感じたことを、今でも鮮明に覚えているといいます。
幼い頃のHさんは、家の中でいつもお母様にくっついていて、少し離れるだけで泣いてしまう。そんなお子様だったそうです。

お母様『1歳を過ぎた頃、運動発達遅滞もあり、検査すると前頭葉の萎縮が見られたため、すぐに療育施設に通い始めました。
その後、Hくんは自閉症と診断されました。
当時は「自閉症」という言葉を聞いても、どんなものなのかよく分かりませんでした。
県立図書館へ行って、障害についてとにかく調べる日々。
それでも情報の限界を感じ、パソコンを購入し調べました。
障害についての理解が進んでいなかったこともあり、離れて暮らす自分の親にも相談できない時期がありました。』
できることを、ひとつずつ増やしたい。子供と向き合い続けた日々
小学部の頃、Hさんは持久走や自転車にも挑戦しました。
お母様『自閉症と診断されてからも、できることをひとつでも増やしたいと思い、Hくんと一緒に練習を重ねてきました。
自転車に乗れるようになり、朝目を離した隙に勝手に一人で自転車に乗って飛び出していってしまった時には、本当にハラハラしました。』
その時は寝ていたお父様も飛び起きて、猛ダッシュでHくんを追いかけたのだとか。
お母様『ひとときも目が離せない、さらに幼い頃からいたずらが好きだったHくんですから家の中にあるはずのぬいぐるみが屋根の上に乗っていたなんてエピソードもありますよ(笑)
繰り返し行われるぬいぐるみを投げて屋根の上に乗せる問題行動には、本当に悩まされましたね。』
健常な子なら2・3回言ってわかる事も、Hくんには100回言っても伝わらない。
今では笑って話せる出来事も、その当時は決して笑えるものではなかったと話します。

外でたくさん体を動かして遊び、夜は眠ってもらう。
それが一日の目標になるような毎日。
お母様『Hくんが眠っている時間が、私にとって1日の中で唯一ホッとできる時間でした。』
家事、子育て、そして障害をもつHさんとの毎日。
お父様は仕事も忙しく、日中はお母様一人でHさんを見ている時間が長くあり、お母様の生活は、いつもHさんを中心に。
お母様『気がつくと頭にはいつも円形脱毛症ができていました。
弱音すら吐くことができず、とにかくHくんとの1日、1日を過ごすこと、前に進むことしか考えていなかった。
Hくんの兄弟である娘には、苦労をかけてしまっていたと思います。』

成長とともに、変わっていったHさん
さらに成長とともに、Hさんに現われた障害特性の一つが「強いこだわり」でした。
思春期を迎えると、気持ちをうまくコントロールすることが難しい場面も増え、周囲の人に対して強い行動が出てしまうことも。
通っていた施設では、ほかのご利用者様やスタッフとの間でトラブルになることも多かったと話します。
お母様『施設に呼び出されて、何人もの保護者の方々から厳しい言葉を受けることもありましたね。
でも、そんなことより何より辛かったのは、自分の子どもが他の人を傷つけてしまうということでした。』
そんな日は眠れず、一人で涙を流したこともあったといいます。
「自分がもっと適切な関わりをできていたら」
「自分の育て方が悪かったのではないか」
――そうやって、自分自身を責めてしまうこともありました。
そして、これまで利用していた施設を自主退所することになり、次のHさんの居場所となる施設を探す日々が始まりました。
「また同じようにトラブルになって、退所になるんじゃないか」
受け入れてくれる施設が見つかっても、その不安が消えることはありません。
お母様はHさんと二人で毎日を過ごしながら、なんとか一日一日を乗り越えていたところ、相談員さんから一本の電話がかかってきました。
お母様『いつも連絡を取り合う相談員の方には近況をお伝えして、電話の最後には「生きれるだけ、生きてみます!」と、そんなふうに伝えることも多くありました。
そんな私の様子を気にかけていてくださったのか、「愛知県に新しい施設ができる」と連絡をくださったんです。』
それが、愛知県一宮市にある障害者専用住宅「WeeW NISHIITSUSHIRO」との出会いでした。

お母様『気がつけばもう施設に入って6年が経ちます。
正直、ここでも長くは続かないかもしれないと思っていました。
Hくんがこの施設で生活し続けられていることに、本当に感謝しています。』
「Hさんらしく暮らす」を支える
現在、Hさんの生活を支えているWeeWスタッフの一人が髙橋さんです。
髙橋さん『WeeWではHさんらしい生活をしてもらえるように支援を行なっています。
もちろん、施設で生活するためのルールはありますが、その中でも”できる限り本人の意思を尊重する”ということを大切にしています。』
外に出ることが好きなHさんにとって、「散歩」は大切な時間です。
散歩に行くときにも、スタッフが行き先を一方的に決めるのではなく、
「どこに行きたい?」とHさんに確認し、可能な範囲で本人の希望に沿った場所へ出かけます。
そして、Hさんにはもう一つ、好きなことがあります。
それが「お手伝い」です。
髙橋さん『施設で育てている野菜の水やりを頼むと、Hさんは快く引き受けてくれるんです。

掃除の手伝いもしてくれて、インターホンが鳴るとスタッフを呼びに来てくれることもあります。
Hさんは周りをよく見ていて、スタッフがどこにいるのか、他のご利用者様に何かあった時にも気づいてくれることがあります。』
Hさんに何かをお手伝いしてもらう。
そのこと自体が、施設で生活するHさんにとって一つの役割になっているのかもしれません。
これまで、周囲から「できないこと」に目を向けられる経験が多かったHさん。
今の生活では、これまでお母様と過ごす中で見つけた「できること」「好きなこと」「得意なこと」が、現在の施設での日々の暮らしの中にあります。
お母様『Hくんは小さい頃から、キッチンに立つ私のそばにいることが多く、食べることも好きなので、よくできあがった料理の味見をしていましたね。
料理のにおいをかぐためにフライパンに近づきすぎで、あごを火傷したなんてこともありました(笑)』

お母様『この写真も、よく見るとあごに火傷の跡がありますよね。』
取材時、大切にしているHくんの幼少期のアルバムの写真を可愛いエピソードと共に紹介してくださいました。
スタッフの側でHくんのできる範囲でのお手伝いをする姿勢から、小さい頃からお母様の側で家事の様子をよく見ていたHさんらしさを保ちながら現在も生活しているのだということが、スタッフのお話から伝わってきました。

離れて暮らすからこそ、見えてきたHさんの姿
さらに、今のHさんの施設での生活について、離れて暮らすお母様はこう話します。
お母様『Hくんがお散歩に出かけた時の写真や季節ごとに実施してくださる施設でのイベントに参加している様子、日々の何気ない日常の一場面の写真。
そこには毎回Hくんの素敵な表情がおさめられています。

それだけでなく、洋服が足りなくなりスタッフさんが買いに行ってくれたり、体調の変化があれば、すぐに連絡をくれる。
スタッフの皆さんが一生懸命に対応してくださっている姿が、日々の細やかな連絡から伝わってくるんです。』
細かな情報が共有されることが、
”離れていてもHさんのことを知ることができる”という
ご家族の安心につながっています。
「どこへ行っても嫌われてしまうような子だったのに」
そんなHさんにとって、大きな出来事の一つになったのが、
2024年に初開催し年々盛り上がりを増す、障害のある方によるフィットネスコンテスト【ボディパフォーマンスコンテスト】への出場でした。
(ボディパフォーマンスコンテストレポート記事リンク:https://times.visionary.day/posts/MCLSetzB)
コンテスト出場前、お母様はこんな心配をしていました。
お母様『本当にHくんがステージに出られるのかな、大勢の人がいる場所でステージに立つ催しだったので、その中でHくんが落ち着いてステージに立ちパフォーマンスができるのだろうかと心配でした。』

しかし当日、Hさんはステージに立ち、見事なポージングを披露。


その姿を、施設のスタッフも応援していました。
お母様『どこへ行っても嫌われてしまうような子だったのに、ここでは応援してもらえている。Hくん頑張れってスタッフの皆さんに声をかけてもらっている姿に、感動しました。』
お母様にとって、それは何より嬉しい光景でした。
「頑張れ」と声をかけてもらう。
息子のことを見てくれる人がいる。
応援してくれる人がいる。
Hさんにとっても、きっと特別な経験だったはずです。
「今、最高に熱い人生」を送ることができています
Hさんが施設で暮らすようになり、お母さん自身の生活にも変化が生まれました。
お母様『これまでの私の人生は、Hくんを中心に回っていました。働くこともできず、なんのスキルもない自分に劣等感を抱いていました。
以前、相談員さんから
「お母さんの人生もあるんだよ」
そう言われたこともありましたが、当時はその言葉の意味を頭ではわかっていても
そんなことは無理だと諦めていました。
”私の人生”なんて全く考えられなかったんです。』
”「普通」「健常者」という言葉が大嫌いだった”
二人きりの生活の中で、さまざまな葛藤を抱えてきたお母様。
Hさんと離れて暮らすようになり、心に余裕ができ、自分の時間を持つことができました。
仕事をする。
趣味を楽しむ。
資格を取る。
障害のある子どもたちや、その家族の居場所づくりに関わる。
今では、さまざまな出会いやご縁から、障害のある方、そうでない方々、みんなでレクリエーションを楽しんでもらう活動にも携わっています。
お母様『何かに夢中になれる大切な時間があると、辛いことも乗り越えていけるのだと思います。
これまでは「障害児の母であることしかない」と感じていた自分でしたが、そこから一歩踏み出してみたことで、できることが増え、世界が広がっていきました。
その出会いを運んでくれたのは、Hくんです。
社会に出て、必要とされている実感を得ることができて、本当に私の人生そのものが豊かになりました。
ビジョナリーさんと出会い、
ご縁や絆のおかげで「今、最高に熱い人生」を送ることができています。』

余裕の持てなかったあの頃。
自分に劣等感を感じていたお母様の人生は、Hくんが運んでくれた出会いをきっかけに、変化していきました。
「子どもより、一日でも長く生きたい」
お母様には、今、一つの強い願いがあるといいます。
それは、「一日でもいいから、この子より長く生きたい。」ということ。
Hさんを残していくことはできない。
だからこそ、自分自身も体力をつけて好きなことをして、心も身体も頭も元気でいたい。
それは、Hさんのためだけではありません。
お母様自身が、自分の人生を生きるためでもあります。
福祉サービスは、家族の人生も支える
障害のある子どもを育てていると、どうしても「この子のために」と、自分のことを後回しにしてしまう。
家族だけで何とかしようとしてしまう。
けれど、一人で抱え続ける必要はありません。
支援を受けることは、子どもを誰かに任せることではない。
子どもの人生と、家族自身の人生。
その両方を大切にするための選択肢でもあります。
HさんがWeeWで自分らしい生活を送る一方で、お母様もまた、自分の好きなことや仕事、人とのつながりを楽しむことができる。
離れて暮らすことで、お互いの人生が豊かになっていく。
お母様『私が言うのもなんですが、障害のある子の親御さんも自分の人生を大切にしていただきたいと思います。』
Hさんの毎日は、特別なことばかりではありません。
散歩に行く。
野菜に水をやる。
掃除をする。
スタッフの手伝いをする。
時には、うまくいかないこともある。
それでも、Hさんの「好き」や「できる」を大切にしながら、一日一日を積み重ねています。
そして、Hさんを支えるお母様もまた、自分の人生を歩んでいます。
誰かに頼ることで、家族も、自分自身も、もう一度自分の人生を生きられる。
Hさんとお母様が教えてくれたのは、そんな「福祉との付き合い方」でした。


