シェアハウス(THE C OKUCHO)に入居し6年目を迎える緒方さん。特別支援高校卒業後シェアハウス入居と同時に一般企業へ就職。平日はシェアハウスの自室で仕事、休日は趣味、デート、遊びと充実した日々を送っています。いつでも前向きな姿勢と配慮ある言動にスタッフ側が気付かされることも。高校在学中にシェアハウスの入居を決意。当時18歳。ご家族の反応や緒方さん自身の気持ちの持ち方、自分が障害者であることを100%受け入れられるまでの複雑な心情、今日に至るまでの過程をありのままに語ってくださいました。強くたくましくそしてチャーミングな一面もある彼のこれまでとこれからを紹介します。幼い頃から“自由な生き方”を思い描いていたと言います。24歳になった今、シェアハウスで暮らす中で“自由な生き方”は叶えられているのでしょうか。インタビュアー自身も過去支援に入らせていただいていました。当時のことも振り返りながらインタビューしてきました!! ■当時18歳。自分の意思で入居を決めたのですか?僕が高校在学中、HIDAMARIGROUPに新しく建ったシェアハウスFOREST(現:THE C OKUCHO)の内覧会に『暇しているならついておいで』と母に誘われ、僕も一緒に行くことになりました。母は相談支援専門員をしているので仕事の一環でしたが僕は本当に暇つぶしについて行っただけで(笑)いざ、内覧会に行き五藤取締役の説明を聞くと僕の方がテンションが上がってしまって、『高校卒業したらここに住みたい!』と母に伝えました。母も『いいね』と一言。その日に仮契約し、ずっと憧れだった一人暮らしの切符を手にいれました。内覧会が夏頃だったので、シェアハウスでの生活を楽しみに残りの学校生活を送りました。と言いたいのですが!シェアハウスで暮らすには、自分で稼がないと生活できないので就職が上手くいくか内心焦りもありました。学校側は僕が急に卒業後シェアハウスで暮らすなんて言い出すもんだから、先生達の方がバタバタしていて。卒業後の進路や行き先は学校から紹介してもらった所に行くというのが一般的な中で【HIDAMARIGROUPのシェアハウス】という先生達には全く情報のない未知の場所ということもあり、とても心配されました。僕は新たな人生な幕開けが楽しみでしょうがなかったのに(笑)今振り返ると、この時の決断がなかったら今とは違う形の生活をしていることになるので、早いうちに家を出られたのは良かったと思っています。■親御様から全く反対されなかったのですか?母は全く反対せずにむしろ応援してくれました。相談員として働く中で、障害者を家族にもつ親子関係の事例をたくさん見てきたことが大きいと思います。お互い自立して生きていくには、親離れ、子離れ、どちらが欠けてもそれは成立しませんし、そこの重要性を一番理解しているからかなと。昔から『身体が動かせないのなら何かして欲しい時は相手に気づいてもらおうと相手本位にせず、自分でしっかりと言葉で伝えて。どうして欲しいか細かく伝わるように話して。』と当たり前のことを当たり前に教えてくれる母親でした。いずれは自立してもらうという頭が母にもあったと思うので、それが少し早まったくらいの感覚だと思います。“僕を大事にする気持ちが強かったからこそ送り出すつもりだった”と後々母から聞いたこともあります。父は“大丈夫か?”と心配しながらも、前向きに送り出してくれました。■一人暮らしをしてやりたいことがあったのですか?最初は何もありませんでした。漠然と一人暮らしをして自由な生活をするということに憧れていて。自宅では自分の部屋がなかったのでその環境が余計に憧れを強くしたのかもしれません。内覧会に来た時にHIDAMARIの事業スタイルを聞いて今後の自分の可能性を感じたし、人として成長できる環境かもと思いました。実際に入居して、初めは苦労することもありました。実は自宅にいた時、一度もヘルパーを使ったことがなくて、18年間ライフラインの介助は家族のみが対応してくれていました。なので自分の生活を初めてお会いするヘルパーさんに1から伝えることの難しさを感じながら過ごしていました。この時、“どうして欲しいか細かく伝わるようにしっかりと話して”と母が昔から言い続けてくれた意味がわかりました。入居後は、母と同年代のヘルパーさんに甘えながら、僕と同年代のヘルパーさんからは色々な刺激を受けながら、ここでの生活に慣れていきました。■現在仕事、プライベート順調ですか?仕事は6年目になり任されることも多くなってきました。日によっては残業もしますし、サラリーマンしています(笑)今ちょうど僕がいる部署が移管する計画があるので引き継ぎ業務などでバタバタです。月曜日と木曜日はオンライン上で研修の講師も担当していますよ!休みの日は彼女とお出かけしたり、8個下の弟とカラオケに行ったり。今度は友達とユニバに行く予定です!新幹線のチケットもとったし準備はばっちりなんですけど雨が心配。(笑)あとは趣味で歌も続けています!僕の持病は肺が弱っていく病気で元々リハビリとして幼少期に歌を始めました。先生が楽しくリハビリをできるように工夫してくれたので頑張れたし、リハビリを通して更に歌うことが好きになりました。学生になってからも歌うことが好きで、最初は趣味程度にアプリに自分の歌声を投稿していました。徐々にプラットフォーム内で横の繋がりも増え、コンスタントに歌を投稿し楽しんでいました。次第に視聴者が増え、初めは自分が車椅子に乗った障害者であることを公にせずにいたのですが、ある人との出会いをきっかけに自分の個性を表に出していこうと思いました。その方は僕の歌声をすごく褒めてくれて個人的にお話する機会があり、そこで障害をもっているということを話しました。話したことをきっかけにもっと多くの方たちに自分の個性と歌声を届けようと思いTwitterを始めました。Twitterを始め、更に多くの方たちの活動や配信に触れ、僕もアプリ内だけでなく、YouTubeなど配信する幅を広げられたらいいなと思うようになりました。ちなみにボイトレに通い出したのはこの頃です♩またこのタイミングであるご家族からメッセージをいただきました。障害の子をもつ親御様から『いつも子供と聴いて元気をもらっています。』とメッセージがきたんです。最初はただの趣味で始めた投稿が誰かの役にたっているということに気が付き、【車いすの歌うたいオガちゃん】として歌い手の活動をスタートしました。趣味ではなく、一人のクリエイターとして、配信者として活動していこうと思いました。今後も定期的に配信していく予定です!配信用の一眼もありますよ🎵■いつもエネルギッシュな緒方さんですが、昔からそうだったのですか?こんな話をすることは滅多にないのですが。人が好きだというのは昔から変わらないですが、殻に閉じこもってしまった時期もありました。僕は“常識的な健全な人間でいたい”という想いが根底に強くあります。そう思うようになったのは小学生の頃まで遡ります。当時普通学級に通っていました。その時、学校側は“障害をもつ人には優しくしましょう”という教育を生徒にしていました。その教えが浸透した頃に、僕が今まで皆となんら変わりない“友達”だと思って関わっていた子たちが、急に友達として関わってくれなくなりました。“友達”としてではなく“障害者”として見られるようになったと感じました。どう表現したらいいかわからないのですが、すごくよそよそしく、気を使って接してくるように感じました。その変化にすごくショックを受け、障害者としての自分を受け入れられなくなりました。それ以降、普通学級に顔を出せなくなってしまって。皆との溝を感じることが怖かったんです。その後特別支援学校に進学しました。今思えば守られた中で生活してきたので本当に世間知らずで甘えていた環境だったと思います。けれど学生の頃感じた違和感のおかげで、次第に考え方を変えることができました。まずは自分が障害者であるということをしっかり受け入れること。その上で常識的な感覚を身につけ他者と円滑にコミュニケーションがとれるようになること。“健常者と障害者は違う”というのが昔の経験から心に刻まれています。でもそれを僻むのではなくプラスになるような立ち回りを。誰にでも強みと弱みがあります。たまたま僕の弱みは障害を持っていたこと。僕にしかない個性として受け入れ、その分強みを最大限に活かして自由に生きていく。協調性をもち明るく前向きに生きられるようになったのはこの考えに行き着いたからです。もっと正直な話をすると僕はどこかに“誰にも嫌われたくない”という気持ちが強くあります。それは、僕は誰かの手助けがないと生きていけないと自覚しているので嫌われてしまったら、生活していけなくなるかもしれないという恐怖がどこかにあるからです。そんな弱気な一面も実はありますが、持ち前の明るさでこれからもお互いが気持ちの良い関わりができるようなコミュニケーションを心がけていきます。 ■HIDAMARIGROUPで生活して印象的な出来事はありますか?先程の話と繋がってくるのですが、HIDAMARIのスタッフさんたちは良い意味で普通の概念を覆してきます(笑)特別扱いするわけでもなく、本当にみなさんフラットに関わってくれる。一人の24歳の男子として見てくれていて、それが僕はすごく心地良いです。同世代のスタッフさんからは流行っているものを聞いてそれを僕が調べ、次に顔を合わせる時にはその話題で盛り上がったり!流行りのものや、ブランド、SNS、髪型、服装、スニーカーなど、ありとあらゆることが新鮮で自分の中に飛び込んできました。そこで、僕が生きていた世界は狭かったと改めて気づくことができました。今までは障害者という括りで、守られた狭い世界で生きてきたんだと痛感する出来事でもありました。他の施設に入っていたら世間を知ることもなく未熟なまま歳を重ねていたとおもいます。HIDAMARIならではというか、この環境だからこそ24歳男子らしい人生を楽しんでいる!!と胸を張って言えます。いろんな分野で、楽しむことの幅が広がったのは間違いなくここのスタッフさんのおかげなので感謝しています。 ■今後の目標は??将来的にはクリエイターとして働きたいと思っているので、スキルを習得中です。生活面では現在シェアハウスで一人暮らしという形ですが、ゆくゆくは一般の賃貸住宅に自分で家を借りそこで一人暮らしをするというのが目標なので、ここで一人暮らしの基盤をつくり、今後の自分の人生がもっと豊かになるような選択をできるようにしていきたいです!