現在管理部に所属し経理を担当する中澤さん。介護現場ではリーダーも経験されており介護職の意義も深く理解されています。ある上司との会話をきっかけに社内でジョブチェンジすることを決意します。“仕事が楽しい”と心の底から思えるようになったこと、ジョブチェンジを決意したこと、VISIONARYで働く上で中澤さんに大きく影響を与えた人物はいったい誰なのでしょうか!!!中澤さんの入社の経緯は?大学在学中、就活が始まると自分の進路と向き合わなければいけない時間が増えました。昔から就職に対して後ろ向きで、“大人になったらつまらないんだろうな~、自由がどんどんなくなるんだろうな~”という考えが強くありました。大学の専攻が経営学部だったので、民間の企業では金融系の会社を受けたり、公務員試験を受けたりそれなりに就活をし、内定をいただいた企業もいくつかありました。公務員はずっと筋トレができそうだからという理由で、第一志望が消防士でした。その時好きだった子のタイプが“鍛えている人”だったので大学1年生の頃からトレーニングを始めていたんです(笑)が、消防試験に落ちてしまいどうしようかと考えていた時にSNSでHIDAMARIGROUPを知りました。当時、発足したばかりのフィットネス実業団の『筋トレを仕事に』というキャッチフレーズにとても惹かれHIDAMARIGROUPを調べ始めました。 実際に受けていた企業とHIDAMARIGROUPでは業界が全く違いますが、そこに対してのギャップは感じていなかったのですか?実際、介護職のイメージは全く湧いておらず、悪いイメージも特になくフラットな状態で見学にいきました。見学では、まず第一に人の良さを感じました。就職することにあまりポジティブな気持ちではなかったのですが“あれ?ここのスタッフさんたちみんな楽しそうに働いているぞ?こういう人たちもいるんだ。”と知ることができました。自分も楽しく働くことができれば想像していた未来とは違う働き方ができるかもしれないと思ったことと、実業団制度があることで社会人になっても筋トレを続けることができると思い入社を決めました。 何もイメージがなかった介護に実際に触れてどうでしたか?僕が入社したタイミングで歳が近い利用者様が入居され、『同期ですね!』なんて言いながら利用者様と共に現場に慣れていきました。とまどうこともありながらも他スタッフや当時の上司のサポートがあり支援に入らさせていただいていました。入社後の配属先はTHE C OKUCHO、その後、NOIE OKUCHO、訪問ICHINOMIYAと兼務させていただき多くの現場経験をさせていただきました。訪問ICHINOMIYAの現場では、実際のお宅に訪問し介助させていただくのでご家族様と顔を合わせる機会が多くなりました。それまでの居住系での勤務では、ご家族とのやりとりは基本的に上長が行っていたので利用者様のご家族と直接話す機会はほとんどありませんでした。訪問ICHINOMIYAと兼務させていただき圧倒的にご家族と関わる時間が増え、ご家族の想いや考え方など、障害があるお子様をもつ親親御様にしかわからない気持ちを直接聞くことで、自分たちがやっている仕事の意義であったり本質的な部分での理解であったり、介護士としての深みがでるような経験をさせていただきました。その後、居住系のリーダーも経験されていますよね?五藤取締役と一緒に支援に入ったことをきっかけに拠点のリーダーを目指すようになりました。今では考えられないのですが、当時はまだ五藤取締役が稀に支援に入っており、その時の利用者様と関わる姿勢が本当に印象的でした。一緒に支援に入ることができた僕は本当にラッキーですし、その経験があったから僕の目標ができました。五藤取締役は支援後に、仕事に対する熱意やなぜこの仕事をしているのかという中身の濃い話をたくさんしてくださいました。五藤取締役と共に入る支援の回数を重ね、いつかこの人の隣に肩を並べ働ける人間になりたいと強く思うようになりました。そうなる為にはどうすれば良いかと、ない頭で必死で考えたんです(笑)そしてまずは拠点のリーダーになり実績をつくり、その後管理部に異動という答えが出ました。求められるスキルが全く違う管理部に異動しようと思ったのはなぜですか?より経営に近い視点からものごとを考えられる部署だからです。経営学部にいたので元々ファイナンスには興味がありましたし、男子は“経営者ってかっこいいな経営者になりたい”という時期があるじゃないですか(笑)その延長線上というか、会社の心臓部分に一歩でも近づけると思ったからです。丹羽社長からは、経営を支える立ち位置でも、現場だからこそ気づく会社の課題や多角的に現場を知る必要は絶対にあるからまずは現場で実績を積んでこいという助言をいただきました。そこで一つ気づいたことがあります。入社前の見学で僕の目に映ったHIDAMARIGROUPの印象は単純に“楽しそう”。実際に入社してからは“目標を追うことの楽しさ”や“福祉にのめり込む楽しさ”を知ることができ、『楽しい』の意味が変わりました。五藤取締役と支援に入ったことをきっかけに、“仕事が楽しいとはどういう意味か”ということが分かりました。 現場で心に残っていることは?NOIE OKUCHOとNOIE GINANの兼務でリーダーをさせていただきました。NOIE OKUCHOの一拠点を任せていただいている時は、利用者様との関係性を築くことや、スタッフの育成など注力して行うことができましたが、その後2拠点を見ることとなり、悩むことが増えました。今振り返ると自分の強引さや傲慢さもあり未熟な部分が多かったなと。マネジメントの部分でも2拠点を同時に見る難しさの部分でも大いに感じました。目の届かないところこそ、スタッフを信頼し頼ることが必要だったのですがそれが当時の僕の力量ではできずに苦しい時期もありました。この経験があるからこそ、ジュニアマネージャーや、マネージャーの方々がいくつもの拠点を統括されていたりするのは本当に凄いなと心から尊敬しています。当時の僕は、幹部の方達が期待してくれていたから役職に就けたはずなのに、いざその立場に行くと役職に就くまでのスピードに自分が追いついていなかったことや、年齢、また周りの介護歴が長い方々と比べたり、とにかく色々なことへ劣等感を感じていました。今思えば笑い話なのですが、髪型や髪色、服装を変えとにかく少しでも大人っぽくを意識したりしていました(笑) 苦しい時期はどう乗り越えられたのですか?ぶっちゃけてしまえば、辞めようと考えたこともあります。根拠のない自信があっただけにうまくいかない自分に、『僕ってこんなもんなんだ』とがっつり凹みました。その後、時間と共に自分を受容できたことと、ちょうどそのタイミングで大西マネージャーが入社され、大西マネージャーが自分の経験を交え対利用者様、対スタッフへの向き合い方など、様々な角度からアドバイスしてくれました。当時、あまり自分の気持ちを外に話す機会がなかった僕にとって、大西さんの寛容な存在はとてもありがたく、切り替わるきっかけとなりました。 管理部へ異動し、現在どのような業務を担当していますか?経理、財務がメインです。経理は大学の授業を少し受けた程の知識しかなかったので先輩に教えてもらいながら覚えました。初めのうちは税理士さんや社労士さんとのやりとりにも緊張していました(笑)日々調べたり、本を読んだり勉強は継続していきます。管理部側から会社を良い方向に導けるような動きを目指しています。 今後ビジョナリーが全国に展開していく上で中澤さん自身、どんなポジションになりたいですか?僕がリーダーを経験したように、このような機会を若くから与えてもらえるのは会社の魅力の一つですし、誰にでもチャンスがあると思います。僕が社長だったら当時の自分にリーダーを任せていないと思うので(笑)そういった意味でVISIONARYの器の大きさを感じています。今後、更に展開が加速していく中で、資金調達や運営していく上での土台作りは僕に任せてもらえるようになりたいです。ポジションで言うなら社長の右腕には既に五藤取締役がいらっしゃるので(笑)、隠れ右腕になります!表には出ていかないけど裏からしっかり会社を支えられるように!!