2024年4月、ビジョナリーに新たな才能が加わります。仲間入りするのは立見北斗(タツミホクト)さん。今回は立見さんのインタビュー特集をお届けします!25歳という年齢を感じさせないほどの落ち着きと圧倒的な存在感を持つ立見さんはまさに注目のフィットネス界のスター。今年8月に行われたAPF VISIONARY CUPではフィットネス実業団7SEASのエース薄井拓也選手を抑え堂々の1位に輝きました。極真空手やボディメイクなど多岐に渡る才能を持ち合わせる立見さん。その経歴には誰もが驚かされるばかりです。すでに情報満載ですが(笑)立見さんの魅力に迫っていきます! 『ワンピースのナミです!!』18歳から海上自衛官として勤務しています。埼玉県で育ち『海なし県』に長く在住したので、海への憧れがあって。海上自衛隊で勤務していた父の影響と、真っ白な制服に憧れをもち進路を決める際は迷わず海上自衛隊を志望しました。入隊し5年間艦艇勤務をしていました。半年間200名の隊員と船内で生活することもありました。艦艇勤務では航海科に所属し、発光信号や手旗信号を使い他の艦艇と通信したり、護衛艦の舵を取ったりしていました。ワンピースで例えるとナミがやっている仕事に近いです。『入隊してから数ヶ月、地獄の日々』入隊後、4ヶ月の基礎教育期間が設けられその訓練が本当に辛かったです(笑)学生時代からは想像もできないほどの環境の変化に慣れるまで時間がかかりましたし、無知な状態からのスタートは肉体的にも精神的にもかなりきました。正式に自衛隊として入隊するという目標を念頭に乗り切ることができました。70名中20名の同期が離脱し、なかなか厳しい世界なのだなと身をもって感じました。『男レベル100の無敵な上司』入隊後1年経過し仕事へやりがいを感じてきた頃に、本格的にトレーニングを始めました。筋トレ好きの隊員が多くマッチョが集う船に乗員したのでその影響も大きくて(笑)直属の上司に、男レベル100って感じの、とてつもなくマッチョで外見も内面もカッコ良い全てを兼ね揃えた完璧な方がいました。こういう大人になりたいと思い、その方から仕事も筋トレも教わりました。ほぼ筋トレだったかもしれない(笑)そしてトレーニングの魅力に引き込まれてから2、3年後に初めて大会に出場しました。トレーニングをする中で、何か目標があった方が頑張れると思ったことと今の身体でボディメイクの世界でどのくらい通用するのかと大会出場を決めました。結果はトップ10に入れないほどの惨敗。周りとの圧倒的な差を見せつけられ、そこから火がつきさらに仕事、トレーニング共に打ち込むようになりました。 『コロナ禍に今後の人生について考える』コロナ禍に艦艇勤務で半年間海外派遣に出航していました。通常時は船の燃料や食料補給地として他国に上陸し観光も兼ね3泊ほどの休暇がありましたが、コロナ禍は入国禁止となり船中での生活が続きました。元々海外に行くことは好きで仕事も含め10カ国以上行きました。海外に足を踏み入れ、未知の景色や異色な文化に触れることでしか感じられない世界観や視野が広がる感覚がとても貴重だと思っていたので入国禁止は辛いものがありました。 半年間と先は見えていましたが、200名規模の缶詰状態での集団生活は精神的にこたえるものがありました。渦中唯一の楽しみだったトレーニングのために、他の隊員たちと資金を分担しトレーニング環境を整えることもしましたが、なにしろ船内なので満足のいく環境にまではできず。自衛隊を辞めたいというより、今後の自分の人生を豊かにしていくためにはどうしたら良いのだろうかと考える時間が増えました。 ―インタビュー中、海上自衛隊の職務遂行とトレーニングにおける不屈の精神が滲み出ていた。彼の誠実な生活の源となった背後にある環境について尋ねてみました。 『かっこいい、強くなりたい』小学生から高校生まで極真空手中心の生活をしていました。空手をやっている友達がおり、空手という競技に魅力を感じ”かっこいい、僕も強くなりたい”の一心で親にお願いをしました。親に勧められて始める人が多いので、周りと温度差を感じながら(笑)学生時代は、親より空手の師範と過ごした時間が長く空手漬けの日々。練習は本当にしんどいしきつかった。実際に人をパンチ、キックし反対に受けることもあるので普通に痛いですし(笑)そんな過酷な競技だからこそ、得られるものが多かった。忍耐力や継続力は今の自分のストロングポイントですし、自衛隊の教育期間を乗り越えられたのは空手をやっていたからだと思います。学校では教わらない礼儀作法も身体に染みついているので普段の所作にも自然と現れているかもしれません。『弱小から無敵に』小学生の時は本当に勝つことが出来ず弱かった。身体も技術も追いついていなかったことと、試合に出ることに恐怖心があって。ただ、負け続けても“もう嫌だ”とはならなかったことが、当時僕の一番の武器だったと思っています。たくさん負けてきたからこそ強くなれた。地道にやり続けること、諦めずに続けられる人が最終的に勝つということが結果としてわかりました。中学1年生のときに地区大会で優勝し勝つことの意義と喜びを知りました。自分が積み上げてきたものが結果に出ることがこんなに嬉しいことなんだって。その大会を機に更に上を目指し始めました。その後中学3年生の国際大会で3位となり、次は世界大会優勝するという目標を定めました。目標から自分がやるべきことを逆算し、先輩や師範のアドバイスをもとに練習カリキュラムを決め練習に打ち込む日が続きました。 中学卒業後は、練習の時間を確保するために自宅から一番近隣の高校に通いました。学校が終わり16時には道場入りし子供たちの指導補助後、自分の練習は7時頃から。帰宅するのは夜中。高校生活も空手を中心に過ごしました。高校3年生の頃には、18歳以上がエントリーする大会の出場権を得ることができ、大人たち相手に優勝することができるまでになりました。その後引退し、自衛隊に入隊となります。次回ビジョナリー入社の起因や今後の目標についてお届けします!お楽しみに!!