日本には、在宅で暮らす知的障害のある方がおよそ114万人いると言われており、その暮らしを支えているのは、福祉サービスだけではありません。昼も夜も、365日24時間。家族として、親として、仕事と介護を両立しながら大切な家族・わが子を見守り続けている人たちがいます。一人のご利用者様を支えることは、その人を何十年も支え続けてきた家族の人生にも寄り添うこと。その想いを受け止めた私たちは、「断る理由」ではなく「受け入れる方法」を探し、強度行動障害・他の施設では受け入れてもらえない、そんな方々を救いたいと全国各地に施設展開を行ってきました。玄関から「ガタン」と音が聞こえるたび、眠っていても飛び起きる。仕事中に鳴る一本の電話に、胸が締めつけられる。「私たちがいなくなったら、この子はどこで暮らせばいいんだろう。」そんな日々を何年も過ごしてきた一人のお父さんがいました。今回のTIMESでは、「安心して眠れる夜」を取り戻したご利用者様Sさんとお父様、そしてその想いに向き合い続けたスタッフのお話をお届けします。安心して眠れなかった日々Sさんがご自宅で過ごしていた当時のことを、Sさんのお父様は静かに振り返ります。お父様『息子が家にいた頃は、日中でも夜中でもいつ家を飛び出してしまうか分からないため、「ガタン」という玄関の音がすれば眠っていても飛び起きる、そんな日々でした。仕事中でも通所施設から「迎えに来てください。」と電話が鳴ることもありました。通所先まで通っていたバスを乗り間違え、行き先が分からなくなり、そこらじゅうを探し回ったこともあります。当時はまだ現役で仕事をしていたので、電話が来るたびに仕事を中断して迎えに行き、また職場へ戻る。そんな生活を続けていました。その頃は夜も安心して深く眠ることができず、医師から睡眠薬も処方されていました。』しかし、薬を飲んで深く眠ってしまった間に、息子が家を飛び出してしまうかもしれない。その不安から、睡眠薬に頼ることはできなかったといいます。「いつ玄関のドアが開いて飛び出して行ってしまうか分からない。」そんな緊張感の中で過ごす毎日は、ご家族の心と体を少しずつ疲弊させていきました。それでも、ご家族は“家族だから“と息子さんを支え続けてこられたと当時を振り返りながらお話してくださいました。「退院したら、この子はどこで暮らすのだろうか。」Sさんはモザイク型ダウン症という障害で、環境の変化や好きなことへの強いこだわりがありました。思い通りにならないことがあると混乱し、自分の気持ちをうまく言葉で伝えられないこともありました。NOIE入所前、暮らしていたグループホームは包括型で日中は生活介護へ通いながら生活していましたが、次第に支援が難しくなり、管理者からは「これ以上の受け入れは難しい」と告げられました。入院という選択をしたものの、その先の暮らしは決まっていませんでした。「退院したら、この子はどこで暮らすんだろう。」お父様は先の見えない不安な日々を過ごしていました。その時、開所して間もない障害者グループホーム「NOIE TSUSHIMA(ノイエツシマ)」に相談が寄せられました。「365日24時間」と「8時間」当時、NOIE TSUSHIMAの施設長だった現在の福祉事業本部長・長沼さんは、その時のことを今でも鮮明に覚えているとのことでした。長沼さん『もちろん、Sさんの受け入れには不安がありました。支援は簡単ではありませんし、スタッフへの負担も決して小さくありません。スタッフ一丸となり支援していくためにも、お父様がSさんへの想いや、これまでの思い出をつづったアルバムをスタッフ全員で読みました。』そこには、お父様が息子さんへ宛てた、こんな言葉が残されていました。Sくんお元気ですか。「ごめんね」お母さんを亡くしていちばんつらかったSくんなのに、気づいてやれずに本当にごめんなさい。この世でSくんがいちばんしあわせになることをおとうさんは毎日祈っているよ負けじ魂を燃やしてね”冬はかならず春となる”体に気をつけて Sくんへおとうさんよりそのアルバムを見たあと、長沼さんはスタッフへ今後の向き合い方を伝えたと話します。長沼さん 『Sさんのお父様は仕事をしながら、365日24時間、一人でSさんの人生を背負ってこられました。それに比べて、私たちは24時間のうち勤務している8時間だけ関わる仕事です。どんなに大変でも、次のスタッフが来れば交代することができる。だからこそ、この8時間だけは本気でSさんと向き合おう。そうスタッフに伝えました。』お父様のSさんへの想いに触れたスタッフ一人ひとりも、覚悟を決めました。“断る理由を探すのではなく、受け入れる方法を考えよう。“それが、当時のグループホームNOIE TSUSHIMAの選択でした。「問題行動」ではなく、「伝えたいこと」しかし、受け入れたからといって、すぐに生活が落ち着いたわけではありません。Sさんにとっても、新しい生活を受け入れることは簡単ではありませんでした。環境が変わったことへの戸惑い。強いこだわり。思い通りにならない時の混乱。現在NOIE TSUSHIMAでサービス管理責任者を務める益田さんは、当時をこう振り返ります。益田さん『Sさんが入所したばかりの頃は、こだわりがとても強く、このままでは穏やかな生活を送ることは難しいと感じていました。だからこそ最初にチームで決めたことは、"Sさんに新しいこだわりを作らないこと"でした。Sさんに限らずですが、入所したばかりの頃はNOIEで暮らすことをまだ受け入れられず、「家に帰りたい」という気持ちを言葉だけでなく行動で表現する方も少なくありません。』帰りたい一心で物を壊してしまう方。食事を口にしなくなる方。その表れ方は人それぞれですが、「ここが自分の暮らす場所なんだ」と受け入れるまでには、どうしても時間が必要になります。益田さんは、大声や破壊行動を"問題行動"とは考えませんでした。「何が悪かったのか。」ではなく、「この行動で何を伝えようとしているんだろう。」そこから支援が始まりました。Sさんを知る毎日の表情。目線。生活リズム。好きなもの。苦手なこと。一つひとつ観察しながら、少しずつSさんを知っていきました。益田さん『Sさんは、楽しい雰囲気が好きなんです。強い要求があっても、好きなことのためなら切り替えられる。そして、周りのことを驚くほどよく見ているんです。強い要求が見られた時も、好きなことに変換して伝えると、すんなりと受け入れられることがありました。そして、Sさんのお気に入りの服も、支援するにあたってとても大切なアイテムでした。その気に入った服が一着しかなくて洗濯が間に合わない時は困ってしまうので、実はお店にお願いして取り寄せてもらったこともあります。』他にも支援の中で最も大切にしてきたこと。それは、睡眠環境を整えることでした。「眠れる夜」をつくる益田さん『SさんはNOIEに入居する以前から腸閉塞を患っていました。腸環境や身体を整えるには、まずは睡眠をしっかりとることで腸の働きを促すことを意識するなど、Sさんの身体の原理に合わせた支援をすることをチームで徹底しました。』また、Sさんには毎晩変わらないルーティンがあります。夕食を食べる。歯磨きをする。お気に入りの服に着替える。ココアを飲む。マスクをつける。「おやすみなさい」。この順番が、Sさんにとって眠りのスイッチでした。スタッフは誰が勤務でも同じ流れになるよう、チーム全員で徹底したのです。すると、Sさんの睡眠にも変化が現れました。益田さん『最近は朝までぐっすり眠れるようになりました。また、そのおかげで下剤に頼らなくても排便が安定するようになり、スタッフの声掛けで水分もしっかり摂れるようになりました。』夜眠れるようになると、身体が変わりました。身体が変わると、表情が変わりました。そして、暮らしが変わっていきました。今では、他の利用者様のコップを片付けたり、テーブルを拭いたりと自分からお手伝いをしてくれることも増えました。益田さん『NOIEに入所してから4年間で、一番頑張ったのはSさんです。毎日少しずつ積み重ねてきたSさん自身の頑張りが、今の姿につながっています。』お父様が選んだ愛情Sさんの変化を誰よりも近くで見守ってきたお父様は、スタッフが作成してくれたSさんの施設での写真を見ながら、静かにこう話してくださいました。お父様『NOIEのスタッフの皆さんには本当によくしていただいています。この写真を見ても分かるように、安心しきった表情をしています。NOIEに入ってから、Sくんの顔つきがとてもよくなりましたね。』そして、お父様は同じような悩みを抱えるご家族へ、こう語りかけます。お父様『”まだ大丈夫” ”もう少し家族で支えられる”と思ってしまう気持ちは、本当によく分かります。でも、時間は待ってくれません。本人のためにも、そしていつか先立つ家族のためにも、できるだけ早いうちから安心して暮らせる居場所を探してあげてほしいと思います。私たちもNOIEに出会うまで、4つもの施設を経験してきました。その中では、親として胸が苦しくなるような思いをしたことも数えきれないほどありました。今は周りの方から「いい施設に入れてよかったね」と言っていただきます。私自身も、その言葉どおりだと思っています。以前の施設にいた頃と比べると、息子の表情がまったく違うんです。今は本当に安心した顔をしている。』Sさんの幸せを誰よりも願っているお父様は、あえてSさんとは会わないという選択をされています。お父様『私の顔を見たら、「家に帰りたい」と思ってしまうかもしれない。そうなれば、Sくんも、自分も、余計につらい思いをすることになるからNOIEにはしばらく顔を出していません。』会いたい気持ちは、もちろんあります。それでも、今の穏やかな生活を守るために、お父様は少し離れた場所から息子さんを見守り続けています。取材中もNOIEスタッフが撮りためたSさんの写真を見つめながら、何度も何度も「安心した表情をしていますね。」と話してくださいました。支援とは今日もSさんは、お気に入りの服に着替え、大好きなお風呂に入り、「おやすみなさい」と言って眠ります。その頃、お父様もまた、以前のように玄関の音に耳を澄ませることなく、安心して眠りにつきます。かつて365日24時間、一人で背負い続けてきた時間。その一部を、今は私たちが受け持っています。支援とは、一人のご利用者様だけを支えることではありません。その人を何十年も支え続けてきた家族の人生にも寄り添うこと。「安心して眠れる夜」を届けること。ビジョナリーが掲げる「最も支援を必要としている方へ手を差し伸べる。」その"最も支援を必要としている方"とは、ご利用者様だけではなく、その方を支え続けてきたご家族でもあるのかもしれません。Sさんとお父様が教えてくださったのは、支援は"生活"を支えることではなく "人生"に寄り添うことだということでした。そして今日も、全国のビジョナリーの現場では、誰かの「安心して眠れる夜」を守るための支援が続いています。