ビジョナリー一棟目の日中支援型グループホームとして建設されたNOIE TSUSHIMA。NOIE TSUSHIMAのリーダーを経て、静岡県の新規事業立ち上げ責任者に選ばれた深見さん。深見さんの代名詞といえば『ポーカーフェイス』(笑)無口、表に出たがらないなどと社内でも謎の存在。一方で、仕事が早すぎる、説得力がある、頭が良いなどと多数のスタッフから一目置かれる存在です。そんな謎多き深見さんを紐解くべく、インタビュー決行!インタビューを避け続ける深見さんの日程確保には苦労しましたよ〜笑恥ずかしがりながらも徐々に自己表現してくださり✨時折見せる笑顔からは優しさが伝わってきました😊仕事に限らず、私生活や女性の好みまで根掘り葉掘り聞いてきましたのでみなさんにお届けします! 『一生交わらない』僕は海外が好きで、漠然と海外で暮らしてみたいと思っていました。そのために新卒からJ◯で働きました。お金の知識があれば海外での生活にも役に立つと思ったから。もともと4、5年で辞め海外に行く予定で入社し、つらい時にはこれも海外に行くためだと言い聞かせ耐えた。その間、楽しいと感じたことは1度もありませんでした。伝統と文化を大切にする社風で新たな意見は受け入れることのない雰囲気。たとえ何か発したとしても上層部に届くことはなく。最初の飲み会で大半の従業員のマインドが常に過去を向いていると感じたのを鮮明に覚えています。一生交わることはないのだなと悟りました。『準備が整った』約5年経ち海外へ行く準備が整い会社を辞めました。行き先はアイルランド。中学生の頃にオーストラリアへ行き、日本では感じることのない季節の移り変わりや空気に感動しました。高校の頃にはスペインやドイツに行き、それから毎年海外へ足を運びました。サッカーをやっていたこともありすぐにヨーロッパが好きになりました。留学先にアイルランドを選んだのは、日本人がいなさそうだから。メジャーな国よりマイナーな国への興味が強くありました。僕が渡欧してすぐにコロナが流行り出しました。あれよあれよという間にロックダウンされ、ホストファミリーからは外にでたら家に入れないと告げられ(笑)アイルランドで出会ったブラジル人の友人に助けられながらやむを得ず帰国しました。『ニート中』帰国後はコロナの収束を待ちながら再渡航を目指し、1年間ニートをしましたが予想以上に長引いたので働くことにしました。J◯時代からビジョナリーのことはSNSで知っていました。ここなら自分の意見ややり方が受け入れてもらえるかもしれない、仕事を楽しめる環境がここにあるかもしれないとSNSから感じました。福祉業界に興味があったわけではない。社長が発する社風を信じて応募し、無事入社が決まりました。入社後は、立ち上げ中のNOIE TSUSHIMAに配属されました。ひたすら数字を追い求めていた前職とは全く違う業界にとまどいながら。当時は運営する上での数字管理に携わることがなかったことや、立ち上げ当初で利用者様が少なかったこともあり余裕をこいていました(笑)そんな僕でも障害福祉へ没頭するきっかけとなる利用者様と出会いました。自閉症の方がパニックを起こす事例は少なくはないと思いますが、そういった特性をを少しでも和らげることや回避する自分の声かけやアプローチにより利用者様に変化がみられた時この仕事の楽しさがわかりました。その出来事がきっかけで積極的に利用者様と関わり現場に還元できるよう動き出すようになりました。小さな成功体験の積み重ねが未経験の僕に自信を与えてくれました。そうこうしているうちに利用者様の数も増えたことで必然的に業務量も増え、やっと本番が始まったなと一つギアを上げ仕事に取り組むようになりました。ー福祉に触れてからの成長スピード、経験値の積み重ねのスピードがすごいですね。入社1年3ヶ月、史上最速でNOIE TSUSHIMAのリーダーに昇格されたと聞きましたがその点についてはいかがですか?『向いてない』リーダーになるまでは正直仕事がつらいと思ったことがありませんでした。サブリーダーまでは自分の仕事と向き合うことさえできていればよかったから。NOIE TSUSHIMAのリーダーを務めていた長沼さんがジュニアマネージャーに昇格されたので運良くリーダーに上がれたものの最初の半年は本当に苦しかった。マネジメントの難しさに頭を悩ませる日が続きました。過去、サッカーでキャプテンを任された経験がありましたがその時はチームの目指すところが明確だったので厳しいことも平気で言えましたしチームメイトも受け入れてくれました。それがチームのためになっていると全員が理解していたから。ただ、社会人なると一人一人ベクトルも違えば働く理由も違う。そういったことから一人一人へのアプローチ法や部署全体の士気の高め方などさっぱりわからなかったんです。 加えて僕は周りと円滑にコミュニケーションをとることが苦手です。口数も少なければ表情に出ることも滅多にない。想いや熱量など内に秘めてしまう性格です。それでもリーダーになったからにはスタッフに伝えていかなければならないことが五万とある。そうしたことから自分の想いや考えを伝える手段として日報を活用しました。テキストで自分の想いや考えを長々と書き綴り“伝われー!”と念じながら送信ボタンを押していました。時間はかかりましたが、次第に僕を理解してくれたのかなと感じることが多くなりました。ーそんなNOIE TSUSHIMAの絶対的リーダーの深見さんですが、新規店舗立ち上げのリーダーとして静岡に行くことに。新規店舗立ち上げに積極性が見られますがなぜですか?『これまでは運良くサブリーダー、リーダーになれただけ』入社後に昇格意欲が出てきたわけじゃない。もともと上に上がるつもりで入社しました。NOIE TSUSHIMAではたまたま席が空いたのでテンポよくサブリーダー、リーダーとなりましたが僕はここで満足しない。新規事業に積極的に携わりたいのは自分の力が試されるのが0からの事業所作りだからです。愛知県から離れるわけですから、すぐに誰か助けてと言える状況ではなくなります。自分の判断や決断が頼りになってくる。ここで結果を出せば次のチャンスが巡ってくると思いますし、失敗してチャンスを逃したとしても全部自分の責任。そういう環境で成果を出すことにワクワクします。その反面、正直不安です。うまくいくかなって。スタッフ、利用者様、地域との関係性、多方面で不安要素を考えたら尽きない(笑)ただ一つ目標にNOIE TSUSHIMAを越える部署をつくりたいと思っています。レベルの高い事業所を目指します。―コミュニケーションを苦手とする深見さんですが、新たな部署で0から関係性を構築していく険しい道を選択するのは何か目的があるのですか?『父を越える』父親が会社のナンバー3だったことを幼馴染の親から何度も聞かされました。『あんたのお父さんはすごい』と。大学卒業まで一銭も出すことなく育ちそれを許してきてくれました。おかげで海外を知ることができ、将来の夢ができました。何不自由なく育ててくれた環境にとても感謝していますし、将来的には超えていきたいと思います。立場としては超えられないけど、わかりやすいところでいくと収入面とか。なにかしら、親父を超えられるものが見つかればいいんです。また前職の仲間にも自分の選択が間違っていなかったと知って欲しいという想いもあります。 ―新規部署立ち上げの相方となる山本さんについて『連れて行く責任』同じ部署で働いたことがないので、彼の強み、弱みはあまりわかっていません(笑)ただ、ここから連れていく責任は重い。本人も昇格意欲のあるスタッフですし僕次第で彼の今後が良くも悪くも変わると思います。彼のストロングを引き出し、伸ばしていってあげたいと思っています。僕自身、静岡に長くいるつもりはない。次新たな拠点が建つときにはそこも狙っていくつもりです。うまく彼に引き継げるような環境を整えていきたいと思っています。〜Vol.2へつづく〜