今回は長沼ジュニアマネージャーと森野人事部長のクロスインタビュー!!FOREST(現:THE C OKUCHO)立ち上げを経験した森野さん。NOIE TSUSHIMAの立ち上げを経験した長沼さん。現在、待機者が出る程、障害をもつ方々やご家族から需要がある2拠点ですが、軌道にのるまでにはどのような道のりがあったのでしょうか。当時の想いや、記憶に残る利用者様との出会い、お二人が介護士としてより成長することができた過程、またお互いの第一印象から今の関係性もお聞きしてきました。それぞれの側面からHIDAMARIGROUPを引っ張る二人の姿をみなさんにお届けします!! 【森野将成:2015年入社。訪問ICHINOMIYAで現場実績を積み、HIDAMARIGROUP初の障害者専用シェアハウスの立ち上げリーダーとなる。その後HIDAMARIGROUPを離れたが、再入社。生活介護attoのリーダー就任後、自身初の挑戦となる人事部で現在全国展開に向け採用活動を行う。】 FOREST(現:THE C OKUCHO)はHIDAMARI GROUPにとって新たな挑戦だったと思うのですが、リーダーとしてどのような気持ちで挑みましたか?森野さん『訪問介護のサービスを主に行っていたHIDAMRI GROUPにとって初の居住系は大きな挑戦でした。それまで自宅にお邪魔し実際に介護をさせていただく中で、「子供の将来がとても不安。でもHIDAMARIさんが障害者向けの居住空間をつくるとお聞きしてからとても安心。楽しみ。」とご家族からありがたいお言葉をいただく度、“福祉業界を変える”という僕たちの目標に一歩近づくことができるワクワク感と同時にプレッシャーも大きくありました。』 居住系第一人者の森野さんだからこそ語れる、大変だったこと苦労したことは何ですか?森野さん『当時一宮市では知名度はあったと思いますが、愛知県内ではまだまだ認知度は低く、シェアハウスということである程度まとまった人数のスタッフが必要にも関わらず、新規スタッフを集めることにかなり苦戦しました。現在のようなマッチョ介護士というパワーワードが当時は存在しなかったので、なんとか集まった4人のうち3人が未経験でこれもまた焦りました(笑) 僕含めスタッフ5名に対し入居者5名、他部署からのヘルプもあってスタートしました。スタートしたのはいいのですが初のシェアハウスだったこともあり仕組みなども完全には構築されていない状態で(笑)今振り返れば笑い話なのですが、軌道にのるまでの数ヶ月は24時間、頭も体も心もフル回転で生きた心地がしない日が続きました(笑)スモールステップを続けなんとか少しずつ少しずつ形にしていきました。』 軌道にのったと感じたのは何か変化がみられたのですか?森野さん『まずスタッフ全員が支援を一人でやりきれるようになったこと、次に想いの部分が浸透したなと感じる発言がスタッフからあがるようになったことが挙げられます。そうしていくうちに、各々に役割を持たせ任せられるようになってきたことで軌道にのったというか、それなりに現場が回るようになりました。もちろん課題はまだまだ山積みでしたが(笑) というところで、入居者の方も増えて自分がやれる限りの最低限の部分での貢献できたのかなと。その後、2号店(THE C SANJO)やWeeW立ち上げの話が進んだこともあり、新たに展開していく上での基盤をつくることはできたのかなと思っています。』想いの部分とは?森野さん 『自分たちは利用者様の家族にはなれない、でもここに入居してきた方々の背景を知り理解を深めることで自分たちがやるべきこと、関わり方は自ずとみえてくる。家族に最も近しい人になろう、最も近しい人であろうと伝え続けました。誰しもが住み慣れた場所で家族と暮らしたいと思います。だからこそFORESTに住まわれている理由、住まなければならない理由を全員が考えて欲しかったんです。そこの理解があるかないかで利用者様とその後の関わり方が変わると思っていたからです。』 利用者様のその後の生活はいかがでしたか?森野さん『オープンと同時にHさんという方が入居しました。その方との関わりで僕の介護士人生の中でとても心に残る大きな経験をさせてもらいました。 入居前の情報としては、糖尿病により片足を切断しているにも関わらずかなりの偏食である、身寄りがない、そしてまわりと円滑なコミュニケーションをとることが得意ではないという話がありました。 入居後、事前情報通り中々心を開いてくれず、こちらの問いにも反応なしの日が続きました。その方に何ができるかを考えた時にFORESTが彼の家になること、彼の一番近くにいる僕たちが家族に近い存在になるという答えが出ました。ご本人の意向とこちらの提案が噛み合わず、喧嘩をした日々もあります。でもそれは悪いことだとは思っておらず、その方と本気で向き合っているからこそのぶつかり合いだと捉えています。 彼が最も好きだったことがプロレスです。FORESTに引っ越してこられた時もダンボール数箱分のプロレス雑誌を持ち込み置き場に本当に困りました(笑)そんな彼の夢は生のプロレスを見に行くことでした。それを叶えるために本当に毎日必死で。食事内容を摂生することへの理解をしていただいたり、信頼関係を日々スモールステップで積み上げていくことを全員でやり続けました。結果として、彼の夢だったプロレス観戦に何度も行くことができるようになりました。プロレス観戦に行った際は見たことも聞いたこともないような表情と声のボリュームで叫んでおられました(笑)透析に1日おきに通っていたのですが、いつしか「行ってきまーす!」「ただいまー!」と言われるようになったんです。あんなに嬉しい「行ってきます」と「ただいま」はないですね。少しずつ、ここが自分の家だと思ってもらえたのかなと感じました。===================================================【長沼圭祐:2018年入社。THE C OKUCHO、WeeW系列にて現場実績を積んだ後、NOIE TUSHIMA(日中支援型グループホーム)立ち上げリーダーに抜擢。その後ジュニアマネージャーに昇格、東海エリアを統括しサービス向上、人材育成に励む。】 NOIE TSUSHIMAの立ち上げ当初はどうでしたか?森野さんと通ずるものは何かありますか?長沼さん『森野さんとは全然ちがって(笑)、失敗してはいけないという気持ちはありませんでした。最初はNOIE TSUSHIMA立ち上げを任せてくれることは嬉しかったのですが、ちょっと無茶だなぁとも思っていました(笑)一宮から少し距離のある津島だとHIDAMARI GROUPの名前は通用せず、地域との関係性づくりも1からだったのでここがこの地域で1番になるという目標を立てスタートしました。』 NIOE TSUSHIMA立ち上げ当時、リーダーとして力を入れた取り組みはありますか??長沼さん『森野さんと同じで、仕組み(日中支援型グループホーム)は0の状態、新人のスタッフは未経験の方が多い状態だったのですが、そこは妥協せずにひだまりの想いを体現したいと考えていました。任せていただく以上、HIDAMARI GROUPの強みでもある強度行動障害の方々の受け入れを僕個人といては視野に入れていました。が、スタッフスキルとのバランスを考えると葛藤がありました。なので育成のためのマニュアルを作り、グルホ運営の業務面、障害福祉へのスキル面、両方の実現を目指しました。』それでも受け入れを決意した理由は?長沼さん 『そんな葛藤をしている頃、営業に出向いた場所であるご家族に出会いました。ご家族の話をお聞きし、重度な障害を持つお子様をお持ちなこと、お子様へ対するご家族の想いや、最後のチャンスであるNOIE TSUSHIMAへの入居が難しければ、お子様は一生病院で過ごすことになる現状であることを聞き、気持ちが揺れました。自分としては受け入れたい気持ちが強かったのですが、既存のスタッフで対応しきれるのかの不安が大きくありました。そんな僕の想いを伝えた上で、受け入れる覚悟を他のスタッフに問うと皆、口を揃えて“やりましょう!!”といってくれました。絶対できるという確証がない中での問いだったにも関わらず、僕の想いを汲み取ってくれるスタッフがいることに本当に心救われましたし、仲間の大切さを改めて感じられる瞬間でした。』 その後、心に残るような利用者様との出会いはありましたか?長沼さん『僕の介護士としての経験値をあげてくれた、介護士人生を大きく成長させてくれた利用者様がいます。その方も重度の障害をお持ちでした。津島から離れた場所にお住まいの親御様から息子のことを相談したいと、HPからHIDAMARIGROUPを見つけ問い合わせをしてくださったことが出会いのはじまりです。「息子は統合失調症という障害を持ち、長い間病棟で生活をしている。現状病棟で生活する以外、方法がない。もしNOIE TSUSIMAに受け入れてもらえるのであればお願いしたい。息子の目標は家に戻り僕と暮らすことです。」と。その後、対象の彼と初めて顔を合わせた時、正直受け入れは難しいと思いました。と同時にここで僕たちが受け入れなければ彼の人生が豊かになることはない。この病棟で彼の一生は終わってしまうとも思いました。その後、様々な角度からリスクヘッジし、受け入れを決意しました。入居後は、もちろんすんなり上手くいくはずもなく、関係性を築いていくには時間がかかりました。それでも僕たちは彼の“お父さんのいる家に帰る”という目標に向かい支援を行っていました。2週に1度の通院頻度も次第に落ち着き、ほぼ通院しなくてもいい状態までに落ち着きました。その頃には関係性も構築され、さっき会ったばかりでも“長沼さん会いたかったよ~”なんて言ってくれるようになったり(笑)かわいらしい一面もあって。そんな彼ですが通院の日は病院の帰りにお父様とお出かけをし、その後NOIE TSUSHIMAに帰ってくるというルーティーンがありました。ある日いつも通り送りだし、いつも通り帰ってくるのを待っていたのですが彼は帰らぬ人となってしまいました。あまりにも突然の出来事で、あまりにも予測していなかった出来事でショックが大きすぎる一報でした。彼の統合失調症になるまでの背景、息子様に一人で向き合い続けたお父様のお気持ち、僕たちが関わる中でもっとできることがあったのではないか、もっともっと向き合えたのではないか、僕たちは彼に対してやれることを全てやったと自信を持って言い切ることができるのだろうかなど、初めてスタッフたちの前で僕の感情が溢れた瞬間でした。なにもやる気が起きずしばらく落ち込みました。その期間本当に色々なことを考えました。でも短い期間の関わりでも真剣に向き合ってきたことで、こんな感情になれるということは責任の重さもありながらも、生涯かけてやっていきたい仕事なんだ」という気持ちになれたのです。出会えたことは決して忘れませんし、一人の利用者様を通して人生観が変わりました。』〜森野さん、長沼さんお二人とも介護という仕事を通し人生観が変わるような経験をされているようです。そして現在、森野さんは人事部、長沼さんはジュニアマネージャーとして動く中で互いに認め合い相乗効果のある関係性になったといいます。では二人はどのようにして交わることとなったのでしょうか。お互いの第一印象から意気投合するまでの経緯、更にはプライベートでのお付き合いまでお話してくださいました。お二人の現在の関係性や今後の目標は次回のTIMES VISIONARYに続きます〜